わたしの棚卸しストーリー(2〜3歳)
2歳になった時に、祖父母のいる帯広市に引っ越した。
庭付き、二階建ての一軒家。
庭と家の面積は同じくらいだった。
玄関前には、砂利が引いてあった。
じゃりじゃりと石に埋もれながら、家に入った。
濃い茶色で、縁取りが白のドアは、コントラストが激しかった。
庭の奥の左側には、私が遊ぶ用のカラフルなおもちゃのブランコがあり、
右側には、アスパラガスやナスやトマトやきゅうりなどの野菜を育てていた。
幼少期の記憶は、断片的で、ポツポツとしか覚えてはいない。
でも、覚えているものもあるんだから、脳というのは何をきっかけに働いたのか、不思議で仕方ない。
あれは、3歳のころだったのか。
親に連れられてよくいっていた買い物施設があった。
名前は、「いっきゅうさん」だったような気がするのだけれど、もう今はないから定かではない。
一階に、子ども専用の遊び場があって、そこで遊ぶのが好きだった。
親が子どもを置いて買い物するための遊具施設だけれど、私の目的はそこだった。
ある日、一人で歩いてそこに行くことを思い立った。
誰にも何も言わず、お金も持たず、「いっきゅうさん」へ向かった。おもむろに。
初めて一人で、信号を渡った。
帯広の遊歩道は広いし、「いっきゅうさん」までに道もまっすぐなので、
迷う要素は一ミリもなかった。
そこで一人で遊んで、遊んで、遊んで、遊んで、遊んでいたら、
警察に保護された。
誘拐事件かと思って、親が通報したらしい。
ははは。
そうだった、私は小さなころは、好奇心の向くままに動いていたし、
まっすぐ前に歩いて行ったし、恐れることはあんまりなかった。
今はもう廃墟と化した「グリュック王国」という帯広にあったテーマパークでも、
迷子になって、よく名前をアナウンスをされた。
すぐにどこかに行ってしまうので、よくよく怒られた。
家の近くで変質者にあった時も、そうだ。
コートの下は下半身まるだし、という男性に「おいでおいで」と呼ばれた。
当時流行っていたアニメの「ビックリマン」。
お菓子のチョコウエハースを買うと、シールが1枚付いてきた。
おじさんは、そのシールをあげるからここを触って、といっていた。
「なんじゃこりゃ」と思いながらも、ビックリマン欲しさになでなでして家に戻った。
母に話したら、おののいていた。そりゃそうだ。今なら私も、おののく。
のどかな帯広でも、偏った性癖の人もいるもんだ。
とにかく、小さな頃は、まっすぐ前に進んでいた。