わたしの棚卸しストーリー(1歳)
最近は、ぼんやり考える時間が多くて、自分の人生の棚卸しをしている。
考えていると、連鎖してどんどん先に進んでしまい、なんでそう思ったのかを忘れてしまうのが惜しいと思い始めた。
自分の人生は、当たり前だけど、自分しか経験していない。
私が何を経験して、何を思ったのかは、親だってわからない。友達だって全部はわからない。
私が話さなければ、誰にもわからない。
そしたら、私が私のことを忘れちゃったら、その出来事は消えていってしまうんだ。
なんか、もったいない。
忘れないうちに、綴ろう。
そうか、だからインタビューとかがあるんだなって、思った。
おじいさんやおばあさんに人生を聞いて、その方達の自分史をまとめたら、面白そうだなーとかもぼんやりと思う。
場所は北海道、旭川市。
私はここで生まれたそうだ。
ここでの記憶は全くない。
でも昔写真で見たピンクのスキーウェアをきて、アパートの2階に雪が積もった通路を歩いているシーンは記憶に残っている。
このとき、父と母は30歳手前くらいだったろうか。
今のわたしよりも年下だ。
親の年齢を超えて初めて、親もまたただの若者だったのだと認識する。
絶対的な存在、じゃないんだ、親って。人間だもの。
もっと尊敬するのは、ワカモノの両親が、子供の病に立ち向かったこと。
わたしは、1歳くらいの小さな小さな頃に、なかなか大きな病気をしている。
「先天性総胆管拡張症」
https://www.shouman.jp/disease/details/12_12_027/
先天性、とは生まれつき、ということ。
胆管が人よりも広がっていた。
生まれ持って、臓器の一部が奇形だったんだ。
本来の状態ではないわけだから、生きていれば不具合が生じる。
「オウタンガスゴカッタ」という母の言葉は少し覚えている。
そんなこんなで、外科手術をした。
1歳の子供は、ざっくりと腹を切られ、胆のうを切除した。
お腹には、バッサリと刀で切られたような手術跡が今でも残っている。
何も気がつかずにそのまま放っておくと、15歳くらいで死ぬ病気と言われた。
今の医学では当時とは違うのだろうけど、
わたしはその境遇を、「特別」に思うようになった。
物心ついたころから、病院の存在は近くにあった。
経過観察で、よく旭川の医師の所に行っていたからだ。
小学生になり、首都圏近郊に住むようになっても、毎年夏休みは北海道に帰省して旭川へ行っていた。
先生に会って、話をして、お腹を見せて、エコーをする。
毎年、毎年、変わらなかった。
そしてそれが、過ごし方として当たり前だった。
それ以外に症状は出なかったし、ただ夏休みの一環だった。