【BOOK】人は、なぜ他人を許せないのか?(中野信子)
他人を許せない理由は、みんな同じだった。
“違い”との関わり方を脳科学者から学ぶ。
書籍タイトル:人は、なぜ他人を許せないのか?
著者名:中野信子
出版社: アスコム(2020年01月27日頃)
- 1. 著者はテレビでもよく見かける、ファンキーな脳科学者・中野信子氏
- 2. 他人を否定する理由は、脳が気持ち良くなりたがるから
- 3. 正義は、視点によって異なるもの
- 4. 違うものを排除したがる日本人の民族性を知る
- 5. 相手を許す方法は、自分を客観視すること
- 6. 違いを受け入れられなくなったら、ヤバイ。老化だ
- 7. この本が最も伝えたかったこと
1. 著者はテレビでもよく見かける、ファンキーな脳科学者・中野信子氏
脳の仕組みを語る科学者の中でも、彼女は少し、異質に見える。初めて興味を持ったのは、密着ドキュメンタリー番組にて、金髪のカツラをはずした時だった。容姿の派手な研究者は他にも見たことがあって、金髪の彼女もその一人だと思っていたのに、ヅラだった。
もうわけが分からなくて、ちょっと秘密を共有された気もして、それ以降、彼女の存在が気になるものとなった。
2. 他人を否定する理由は、脳が気持ち良くなりたがるから
私たちの脳は、「それは間違っている!」と誰かの過ちを正すことで、ドーパミンが出て気持ちいいと感じるらしい。中野氏は、その行為を「正義中毒」と呼ぶ。
正義を追求する姿勢のどこがいけないの? と思う一方で、最近のSNSを通じた芸能人への過激な批判は、たしかに取り憑かれたような中毒っぽさも感じる。
ソーシャルメディアの匿名ルールが、一方的な攻撃性を高めたのだろうが、それはネットの中だけの話なのか? 目の前の相手にも同じように正しさを振りかざしているのではないか?
…いや、している。私には自覚があるのだ。だからこの本を、手に取ったのだから。
“Justice addiction”
他人を愚かだと批判して、正した自分に酔ってしまうなんて、なんだか薬物中毒よりもたちが悪い。
人として守るべき「正義」と、機能不全に陥った「中毒」。
「正義」って、一体、なんだ?
3. 正義は、視点によって異なるもの
本書では、「“愚かかどうか”は、視点の置き方によって変わる」とある。
時代や地域、社会イメージなどの環境によって変化し、一貫性はない、と。
つまり、正しさや愚かさは、刻々と変わるそうだ。
振り返ると、思い当たる節がある。
2年前の私は、海外への数カ月だけの語学留学は、無駄なものと思っていた。キャリアの糧にならない上に、自在に話せるほどの英語力も身につかない。短期留学を経験した友達に、行く意味がわからないと、真っ向から否定した。
その1年後、フィリピンで4カ月の語学留学を経験し、英語に対する考え方だけでなく、生き方に対する考え方まで変わってしまった。もちろん、キャリアの糧にはなってないし、自由な英語力は身についていない。しかし、2年前の自分が言っていたことを、今の私はもう賛成できない。
4. 違うものを排除したがる日本人の民族性を知る
「正しさは一貫しない」ことに加えて、「日本人は違いを受け入れにくい民族」であることも認識しておくべきだと思う。
私たち日本人は、社会性が高く、コミュニティの維持のためなら自分の考えを飲み込む傾向がある。「タテマエ」は、日本人の特性を表すときによく使われる言葉だ。フィリピンでも言われた。その遺伝子は、小さな島国だからこそ養われたものらしい。
自然が厳しく、鎖国の時代もあるほど閉鎖的な中では、まわりの人たちとうまくやっていかなければ、生きていくことができなかった。それが、空気を読むべきという共通認識へ育っていく。
一方、ヨーロッパは地続きで他国が存在し、人種や文明の交差が頻繁に起こる。その中では、多様性を受け入れながら、意見をぶつけ合わなければ生きていけなかった。そのような長い歴史的背景も影響している。
5. 相手を許す方法は、自分を客観視すること
「正しさ」の存在が揺らいできたところで、本題に入ろう。
相手を許す方法を習得するには、自分の脳が何を許せないのかを知ることが必要だ、と中野氏は説く。
自分を客観的に見ることは、心理学用語で「メタ認知」という。
違いにぶつかった時、「違う!」と感情のまま言いたくなるのをグッと堪えて、なるほどねぇ〜とクッション言葉を置きながら、「私は何を拒絶しようとしたのか、それはなぜか」と見つめてみる。何度も繰り返して、脳のクセを知る。もし、自分が正しいと思って譲れないようなら、残念ながらそれは勘違いだ。だって、不変の正しさなんて存在しないのだから。
自分もまた、相手と同じように、偏っている人間なのだ、と認める。
ものごとを挟んで、お互いの距離が浮き彫りになった瞬間が、「違う!」である。違いを発見できたということは、自分の偏りを調整できるチャンスを得たことと同じだ。
正義中毒から解放されるには、対立ではなく、並列で考えること。
攻撃をして気持ち良くなっても、得られるのは一瞬の快感だけ。それよりも違いを受け入れる努力をする方が、結果的に得られるものが多いようだ。
6. 違いを受け入れられなくなったら、ヤバイ。老化だ
理性と直感が対立すると、ほとんどの場合、理性が負けるそうだ。そもそも理性の支配力が弱いのなら、ボーッとしていると、欲望だらけで自分本位の行動を取るようになってしまう。
…いいい、いやだ。少しでも、スマートでかっこいい大人でありたい。
7. この本が最も伝えたかったこと
中野氏があとがきで書いている一文が、この本の心臓だと思った。
『ああでもなくこうでもなく、そうも言えるし、こうも言えるけど、結局人間が好きで、考えることは楽しい』
彼女は、人間は不完全であり、永遠に完成しない、とも言っている。
私たちは不完全な生きもので、答えの存在も不完全。
それならば、正しさをぶつけて争うことこそが、愚かではなかろうか、私よ。
君はそうなのか〜、私はこうなのよ〜、ここは同じで、こっちは違うねと、思考のプロセスを楽しんで、お互いに包み込んでいく。
それにこそ、真価がある。